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赤塚さんが亡くなって思い出されるのは、12歳あたりに小学館にアポなしで見学にいったら、親切な編集さん(田中一喜氏)が新宿のスタジオゼロへ車でつれていってくれたことだ。
人生で初めて会った生の漫画家ということで、そりゃあもうマンガ少年だった僕は異常に喜んだ(はずだ...なにしろ昔なんでねえ)。そんな時から写真を撮っていたのは、なかなか立派だと思うのだけれど、いきなりファンをつれていってくれるなんて、まだまだのんびりした時代でしたねえ。やはりいい時代に生まれるいたようで、感慨深いものがあります。
まさか大きくなってバカボンのアニメーターをやるとは思わなかったし、編集者にもなると思わなかったなあ。同じビルの中のスタジオゼロで鈴木さんのアシスタントもちろっとやったり、このビル(市川ビル)のオーナーの妹さんがおいらの両親の仲人だったり、なんだか縁の深い場所ではありました。あ、鈴木さんのイベントに赤塚さんにも出演して頂きましたねえ。
心よりご冥福をお祈りいたします。