FILM 1/30e No.8-続き 2001年8月発行

ブラジルフェスティバル報告 ANIMA MUNDI 2001-その2
19日-23日
 もはや出番はないので24日のサンパウロへの移動日まで気楽に観光や他のゲストの講演を楽しむ。ゲストからいきなりカメラマンと化したなみきさんがひたすらビデオを回していた。英語の話せるマガリー嬢、ヴェロニカ嬢がいつも付き添っていていてくれて、車で移動するので楽である。リオで有名な観光名所と言えば手を広げた巨大なキリスト像の立つコルコバードの丘、コパカバーナ、イパネマなどのビーチ、ポン・ジ・アスーカル(砂糖岩)と呼ばれる海に突き出した奇岩など。前半は天気がよかったので素晴らしい景色を楽しめた。海はきれいだし、ビーチには小麦色のビキニ娘がたくさん寝そべっていて、これぞリオ!という感じ。反面、貧富の差が激しく、ファベイラと呼ばれる貧民窟もたくさんあって、その入口サンタテレーザに終点がある路面電車に乗るときにはバッグは持たず、時計もはずして乗った。「日本人と見たらスリにひきずりおろされる」などと治安の悪さで有名なそれに路面電車の写真展までやっているなみきさんは絶対に乗ると主張したのだ。この電車はなにしろ壁はなくて、すかすかしているし、どこからでも飛び乗れる構造になっている。結果的には大丈夫だったが、やはり目つきの悪い少年にじっとビデオを見られていたし、着いたらすぐ迎えの車が待っていて、早く乗れとせかされた。それでも優雅なカリオカ水道橋を渡り、丘をごとごと登って行く電車はとても面白かった。
 英国の4人やラギオニー夫妻は仕事もあって同行しなかったが、20日に到着したセルヴェ氏とミカエラ女史とは一緒にロープウェーでポン・ジ・アスーカルに登ったり、小雨の中、民芸品や日用品のお店がたくさん出る広場の市を見学したりにぎやかな団体行動だった。お昼はたいてい量り売り(バイキング形式)のレストラン。たくさんの種類のサラダや生野菜、それにシュラスコ(お肉)はその場で焼いてくれて、何をとってもお皿の重さで値段が決まる。山盛りで一皿500円くらい。飲み物は追加になるけれど、ジュースが絞りたてでおいしい。オレンジやレモン、パッションフルーツやマンゴーなど色々あってどれも70円くらいで飲めた。サラダの場所に必ずお寿司があった。
 それぞれのゲスト講演はたっぷり作品上映もあり、しかもとても素晴らしかったので大満足。ラギオニー氏の「お嬢さんとチェリスト」「ある日突然爆弾が」「大西洋を漕いで」、セルヴェ氏の「クロモフォビア」「シレーヌ」など有名な作品だが、私は初めて観るものも多く、こんなに質の高いものをまとめて観られて幸せだった。ミカエラ女史の「Words,words,words」、「レペテ」はブラジルの人にものすごく受けていた。質疑応答の時間にプロポーズする男の人までいる始末。彼女がいつも自分のボーイフレンドや男女のことについて話しているのに驚いたが、セクシャルな内容の多い作品を観て納得。もう少し英語力があれば作品について彼らにいろいろ訊けるのに…。
23日の閉会式の前にゲスト全員の写真撮影と、主催者側の記録のためのビデオ・インタビューが行われた。閉会式では紹介されるゲストを順にビデオカメラで追っていたら、なみきさんのところで写真を一緒に撮ろうとしたのが仇になってそこだけ画面がガクっと不自然になってしまった。後になってまた責められる。わざとじゃないのに…。

左右28mのキリスト像         ポン・ジ・アスーカル

路面電車計り売りのランチ
マガリー、菅沢、ミカエラ・パブラートヴァ、ベロニカ、セルヴェ氏


サンパウロでの展示
24日
 リオデジャネイロでの楽しい日々は終わり。全員揃ってサンパウロに飛行機で移動。サンパウロはリオに比べて寒く、日本の初秋という感じ。ホテルが市内の中心地にないので、観光するところは特になし。リオに比べると都会でブティックやカフェも多い。スタッフはほとんどがリオに住んでいる人たちなので、通訳のマガリー嬢など空き時間に買い物にいそしんでいた。
 夜、ダウンタウン近くの会場で前夜祭。ガラス張りの建物の2階に見覚えのある額が見えると思ったら、リオだけでやると思っていた展示をサンパウロでもやっているのだった。さすがブラジル、すべてがこんな調子で当日その場になってみないとわからないことが多い。前夜祭というのも、ただみんなで夕食に行くのかと思って車に乗っただけなので、ゲストはみんな軽装で来てしまった。テレビクルーなど多くの取材陣が集まってくる様子に会長はあわててビデオカメラを取りにホテルへ戻る羽目に。なんでもアバウトな国である。
展示は外から見えるのでこちらのほうが見に来てくれる人が多いかもしれない。
 ゲスト紹介、何本かプレミア上映をした後パーティ会場に移動。リオではまったくいなかった報道陣がここに詰めかけており、日系の人が多く住むサンパウロだからなのか、日本人のなみきさんは質問攻めに会う。今まで遊んでいた分を取り返すかのようにものすごい数の取材を受けさせられていた。ひとつひとつ展示の作品解説までさせられる。途中でここでの通訳クボタさんが来てくださったのだが、NHK級のTVチャンネルの取材が1番最初で、しどろもどろの英語でしか答えられなかったのをくやしがるなみきさん。でも、パーティ会場が展示のすぐ裏側だったおかげでゲストの方々にも見てもらえてよかった。「白蛇伝」の森やすじさんの原画や「火垂るの墓」のセル画にじっくり注目するラギオニー氏。彼は「わんぱく」のキャラクター表にも強く興味を持った様子だった。なみきさんは取材ばかりでなく、ゲストの質問にも答えていた。
25日
 いよいよ最終日。サンパウロでのフェスティバルは29日まで続くが、今日の講演が終われば用済みなので帰らなければならないのだ。午前中はラウル・セルヴェ氏の企画展が市内で開かれるので、そのオープニング・パーティ。私達の展示と違って、彼の展示は9月まで続く大がかりなものだ。作品もアニメーションの原画、セル画だけでなく「ハーピア」の鳥の衣装や「パピヨン・ドゥ・ニュイ」の婦人が着ていたドレス、初期の漫画作品、油絵など多彩である。セルヴェ・ファンは必見!という感じで日本でも写真美術館あたりでやってほしいと思う。観光などでずっとビデオカメラを回しているなみきさんに目をつけたセルヴェ氏が「私の展示も撮ってくれないか」と事前におっしゃったので、なみきさんは専属カメラマンと化してすべてを記録におさめるのに懸命になっていた。
 午後から講演をする会場に移動して取材を受ける。何ヶ所か上映会場があり、日本のプログラムは市内からは少し離れた会場でやっている。今回私達の来訪のために助成してくださった国際交流基金の方達が何人もみえられる。日系の人がたくさん来てくれればいいと思っていたが、古い世代の人達は東洋人街のコミュニティーの外にはあまり出ようとしないので、来るとしたら若い人達だろうとのこと。確かにあまり日系人は見かけなかった。
2回目の「チャット」。また同じトロフィー授与があるので初めてのように驚いたふりをしなければならない。なみきさんはちょっとオーバーな演技で驚いてみせるが、照明があたってないので目立たず。リオのときより広い会場でお客さんも入っているが、時間がないのであまり作品の説明もできずに上映となる。今回は同時通訳はないので途中で席を立つ人もいた。無理もない。後にも別の上映予定があったため質擬応答の時間もほとんどなく終わってしまった。残念。
 終わってまた取材。日系の新聞、雑誌「HENSHIN」などいくつか日本語でのインタビューもあった。「ブラジルで日本のアニメをほとんど放映しないのはなぜか」など、こっちが訊きたいというような質問もあった。
 ようやく解放されて夕食。今日がゲストの全員集まる最後のディナー。サンパウロは道が複雑らしく運転手さんが迷ってしまい、1時間近くドライブする羽目に。ブラジルはいま電力不足で街灯を落としてあるので夜は真っ暗で本当に怖い。着いたところは小さなダンスホールのあるレストランだった。楽しく踊るみんなを横目にどんなに誘われても踊らないなみきさん。確かにあまり想像できない姿か。スタッフ、ゲスト入り乱れての大盛りあがりの夜だった。しばらくいたが明日早く発つのでみんなにお別れの挨拶をして、また帰ってきた。盛りだくさんなブラジル・フェスティバルはこうして終わったのである。(了)

セルヴェ氏の個展で話すラギオニー氏、後ろで撮影するなみきカメラマン


Back to Main Menu 1/30メニュー 前号(7号)へもどる レポートその1へもどる