
昭和7年(1932)1月大阪府豊中市に生まれる。判事をめざして30年大阪大学法学部卒業後、一旦製薬会社のサラリーマンとなるが、思うところあって進路を変更、日本大学芸術学部映画学科に再入学し、故牛原虚彦に師事する。チェコの作品を見て、アニメーション制作を決意。36年卒業後、持永只仁らのMOMプロダクションに入社。アメリカの下請け人形アニメ「ウィリー・マックビーンの冒険」などの制作に参加する。
39年独立してエコー社を設立、プロデューサー兼監督となる。主な作品は37本、その他にCFなど多数。描きアニメーションから、半立体、立体など、一作ごとにユニークな素材を使った作品で知られる。文化・教育映画とされる短篇アニメーション分野で、常に質の高い作品を送り出しながら、自ら映画会等も企画し市場の開拓にも貢献した。特に盟友川本喜八郎監督と47年から5年連続して「川本・岡本パペットアニメーショウ」を開催し、精力的に作品を発表して話題となった。
処女作「ふしぎなくすり」で、毎日映画コンクール大藤賞を受賞したのをはじめ、国内国外での受賞作品は多数。平成1年には、長年の活動に対してモービル児童文化賞受賞。平成2年(1990)2月16日、肝臓がんのため死去。58才。